不意打ちでした♪

想定していなかった笑顔がそこにありました。
まさかまさか日経新聞で矢野さんの笑顔を見るとは


日経新聞で「引退模様2010」というコーナーがスポーツ欄ではじまりました。その第一回目が矢野さんだったのです!
こういう不意打ちは大歓迎ですよぉ・・・

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すごくアホみたいなんですけど、関西圏以外でこうやって記事になっているのを見るとものすごく嬉しいんです
小躍りしたくなるくらい嬉しいんです
阪神タイガースがらみだと関西スポーツ紙や全国紙の関西版では記事になるのはよくあることですが全国版ではそうそうないような気がしているからなんですね。

読まれていない方が多いかしら?ちょっと書きだしときますね・・・

 7月のある日、阪神の吉田康夫バッテリーコーチがこぼした。「矢野がいたらなー」。今季加入し常時マスクをかぶる城島健司の疲労はピークに達していた。しかし休ませようにも優勝を争う状況で経験の浅い若手は出しづらい。吉田コーチは改めてベテランの存在の大きさを感じた。
 そのころ、矢野燿大(42)は2軍にいた。「投手とのキャッチボールもちゃんとできない」ほど右肘が痛む。自ら申し出て6月8日に出場登録を抹消してもらった。「甲子園に戻りたい」一心でリハビリに励んだが症状は改善せず、9月3日に現役引退を表明した。
 1991年、東北福祉大からドラフト2位で中日に入団し、目の前に立ちはだかったのが正捕手・中村武志という「壁」。守備も打撃も到底及ばず、外野に回されることもしばしばだった。
 97年オフ、阪神へのトレードを通告されて失意の底に。それでも同じセ・リーグで「中日と星野監督を見返すチャンス」とすぐに奮い立った。中日時代の終盤に「38」だった背番号は「一つでも上に」と「39」を選択。くしくも中村と同じだった。
 移籍後4年間は毎年100試合以上に出場。順風に乗ったかにみえた2002年、今度は中日監督を退いた星野氏が阪神監督としてやって来た。再度仕えることになった心境は「複雑だった。モチベーションだった監督がまた味方になるわけだから」。
 だが、もはや中村の壁にはね返された頃の自分ではない。99年から3年間監督を務めた野村克也氏の「アンテナを張れ」との言葉を胸に刻み、戦況や相手選手の動きに目をこらし、リードに磨きをかけていた。03年は打率3割2分8厘と打撃でもチームをけん引しリーグ優勝に貢献、不動の正捕手の地位を築いた。
 常に投手の意見を聞き、「力を合わせて抑えることを心掛けた」。球審から受け取ったボールが滑りやすければ、「抜けるなよ」「抑えるぞ」と心でつぶやき、気持ちを込めてしっかりこねる。細やかな心遣いに投手陣の誰もが感じ入り、全幅の信頼を寄せた。
 今年10月、阪神退団の記者会見で星野・現楽天監督は阪神時代を振り返り、真っ先に矢野を功労者に挙げた。一時期は見返す大将だった人からの賛辞に喜びもひとしお。同じ年にともにチームを去ることになり、改めて縁の深さを感じた。
 20年間の現役生活を支えたのが「こつこつ(努力が)できる」という長所。指導者として再び縦じまのユニホームを着ることを夢見て、来季は解説者として研鑽を積む。


再び縦じまを!が矢野さんの夢なのだから・・・
その夢を応援したいです


ところで矢野さんのサイトが大幅に模様替えしましたね・・・。
三女ちゃんが「メルシー」で長男くんが「ピース」なんだなぁと思って微笑ましかったのですが、
なんと過去エントリーがない

ファンレターの返事も過去のが消えてる・・・

ああ、ほんとに頂いた返事の画面を保存しておいて良かったです

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本名でメッセージを送っていたので返信を見た時はほんとにほんとに幸せな気持ちになりました。
一生の宝物だと思っています

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